大分県杵築(きつき)市は、大分空港から車で20~30分程度に位置し、杵築城や昔ながらの街並みが残る商人の町などが有名です。杵築城は再建された鉄筋工ンクリート製ですが、展望台(天守閣)からは、愛媛県(四国)を臨むことができます。
杵築城を上ってみよう!
杵築城は1394年(将軍足利義満)に築城され、海に面した高台の上から、以降600年にわたり、この地を治めてきたそうです。
杵築城の天守閣からは、海を隔てて、四国を臨むことができます。
室町時代初期に、木付氏によって築かれたこの城は、天災、震災などで城も場所や形を変えながら、前田、杉原、細川氏、小笠原氏、そして松平氏を最後に江戸の時代も終わりを迎えたようです。
杵築の街並み
その城の外側(城下町)は、城と同じように高台に形成されています。
商人の町は高台と高台の間に形成されており、昔ながらの建物の残っています。
とくに有名な風景は、「酢屋の坂」と呼ばれ、北台の武家屋敷と商人の町をつなぐ土塀と石垣が大変印象的です。
杵築市のマンホールのふたはカブトガニ!
ところで、杵築市のマンホールのふたには、カブトガニのデザインが施されています。昔、瀬戸内海から九州北岸にかけて、無数に生息していたカブトガニも、今では杵築湾と佐賀県の伊万里湾などごく限られた地域にしか生息していないそうです。
カブトガニは2億年も前から形を変えずに生き続けている生きた化石とも呼ばれていますが、その血液は医療にも利用されており、毎年数十万匹のカブトガニが捕獲されているようですね。
そういえば、以前行った中国では、食堂の店先のバケツの中に、カブトガニがゴソゴソ入っていて、「これ食用だよ!」っておススメされたことがありました・・・。
せめて、日本国内では保護してあげましょう。
杵築城下町最高のロケーション 古民家「一松亭」
杵築城下町には、古い建物が複数残っていますが、その中でも特に必見が「一松亭」です。立地が最高です。
一松亭は杵築市の初代名誉市民となった一松定吉氏の邸宅で、昭和32年(1957年)に杵築市に寄贈されて以降、一松会館として市民に親しまれたそうです。その後、現在の場所に移築され、保存・継承されてます。
では、一松定吉氏は誰ぞ?という話になりますが、大分県出身で浅草で小学校教師をしながら明治法律学校(現:明治大学)で学んだ後、検事→大審院(現最高検察庁)検事→弁護士→政治家(立憲民主党)へ上り詰めた、叩き上げエリート?でしょうか。なんと、国務大臣、逓信大臣、厚生大臣、建設大臣と数々の重職についており、34年にわたる政界での活躍は、勲一等、瑞宝賞、勲一等旭日大綬賞を受け、享年98歳と大往生の人生を送られました。
一松亭の特徴は、控えめな外観とは裏腹の「良質の材料・職人技」にあります。
まず一つ目の特徴は、「味のあるガラス」です。建物をパッと見てお分かりいただけると思いますが、全面ガラス張りです。当時の板硝子は、工業化されていませんので、手吹きです。現在のガラスのように、ゆがみが全くないものではなく、ふにゅふにゅとゆがみがありますが、これが当時の最先端・最高の嗜好品だったのです。
雨戸は直角に回転させることで、戸袋を減らし、座敷からの眺めがよくなるよう工夫されています。
二つ目の特徴は、武家屋敷様式のお縁(縁側みたいな廊下)は、無節・柾目の松材が使用され、長さがなんと8m!最近のフローリングは薄くスライスした木のシートを化粧板として貼り付けたものを、つなぎ合わせていますが、ここでは無垢材をふんだんに使用しています。
そして三つ目の特徴は、お縁の上側をしっかりご覧ください。屋根を支える縁桁(えんげた)も10mの杉の木が使われています。この長さで両端の太さにあまり差がなく、非常に高価であるとされていますが、それでも左右でわずかながら太さに差が出ます。これがどこに影響するのかというと、窓のサイズです。
木の太さに合わせ、左右の窓のサイズを調整しているのです!現場合わせの真骨頂です。
海の見える高台に移築させていますので、その景色は最高です。ふすまを開ければ、屋敷中に風が流れます。左手には杵築城、そしてその先に四国が見えます。
四つ目の特徴、床の間は、中央に柱を設けず、ふすまで三部屋に仕切ることができるそうです。
このほかにも、数多くの見どころがある一松亭です。
いつでもウェルカムな一松亭、まだまだ隠された秘密を探してみてください。
一松邸 | |
〒873-0002 大分県杵築市南杵築193-1 TEL:0978-62-5761 |
|
営業時間 | 9:00~17:00(入場は16:30まで) |
---|---|
定休日 | 年末年始 |
入場料 | 個人:一般 100円/小・中学生 50円 |
団体(30人以上):一般 80円/小・中学生 40円 | |
※共通観覧券対応施設 |
コメント